2009年から始まった「観〇光」展は最初の三回(序・破・急)を終えた。
第一回展はまさに「序」だった、出来っこないと周囲から揶揄されながらも、京都の世界文化遺産であり日本を代表する観光地の清水寺と二条城の二会場で展覧会を開催。とりあえず実現したという事実、そこから全てがスタートした。
第二回展もまさしく「破」だった、第一回展の踏襲に留まらず、会場に泉涌寺と圓通寺という閑静なお寺を加えて四会場とし新展開を模索、メンバーも増員、その分トラブルも続出した。
そして第三回展がまさしく「急」に成った。会場は泉涌寺・二条城・清水寺の三会場に抑え、今までの経験を踏まえてトラブルも少なくスムースに進行した。今までやれなかった細々した計画も実行して、形としては綺麗な纏まりで成功を収め、一区切りとした。
さて、第四回目からの展開をどうするのか?はたして四回目はあるのか?
それを考える前にもう少しこの三回展の成果について検証しておかなくてはならない。
「総括せよ!」と言うと何だか物騒なので「検証」としておくw
委員長の中堀慎治が「観〇光」展を始めた動機についてはこれまでも紹介してきたのでここでは繰り返さない。
一応その気持ちに賛同するメンバーが集まっていると理解して欲しい。
しかしながら展覧会を具体的な形に作り上げて行く上でのキュレーションというのは様々な現実的遣り繰りの矛盾も抱え込んでコンセプト的には“モヤモヤ”している。
結果的にメンバー全員のコンセンサスが得られるような共通理念を掲げられない。
三回展を進める中で三回のシンポジウムを開催し、段階的に「京都ビエンナーレ」へステージアップするためのステートメントを作成し、第三回展で宣言文を表明すると言うのが当初の取り決めだった。
しかし、現時点では委員長の動機と対外的なアピールで構成された挨拶文が暫定的に発表されているものの、会員内部の話し合いは十分ではない。
この先に進むのであれば委員長も内部に向けた本音の説明・説得がもっと必要であろう。
三回展の途中では会の空中分解を避けるために誰もが穏やかな見解を述べるに留まって議論が衝突するようなシリアスな場面は皆無だった。
しかし、ここで一度仕切り直すためにも参加者全員が忌憚の無い意見を戦わせる必要があるだろう。
私がこの三回展を経験する過程で感じた事は、出品作家達がこの展示を通して学ぼうとしているのか?という疑問だ。
何のためにわざわざ美術館では無い文化遺産の中でこのような展示をしているのか?
ただ指定された会場のスケールに合うような自分の作品を持って来るだけで「見立て」なのか?
この会場で展示(インスタレーション)する事は、その場にインスパイアされて作品制作をするという意味を含むのではなかったのか?
その過程での学びを通して自分の中に眠っている日本美術の血を覚醒させる目的があったのではないのか?
我々が日本文化という物を姿形を変えながらも精神的に継承していけるように、日本文化とは何なのかを問い直して再構築していく作業をリアルタイムで見て貰う事がコンセプトではなかったのか?
権威のあるお寺や文化遺産に自分の作品を置き同一化させる事で自分の作品の価値を高めようなどというちゃっかりした思惑で参加した訳ではなかろう。
「見立てる」とは、ただ空気を読んだ展示をする事ではない、逆に空気を創り、隔たる物と物を融合させることだ。
我々はこの展示を通して多くを学んだはずだし、日本文化への帰属意識が活性化したはずだ。
その学びが今後の作品制作にもフィードバックされていなければ成果を得た事にならない。
これから先は何処に展示するかで日本文化に帰属するのではなく、自分の作品それ自体が日本文化に帰属するのだ。
だから自分の作品が展示されるその場を日本的美意識に帰属させしてしまう展示へと発展するのでなければならない。
「観〇光」の会場を海外に移し、例えばドイツ、例えばケルン大聖堂に展示したとしよう。
その場合に場の権威にすり寄って西洋的セオリーに同化することが「見立て」では無い。
自分自身は西洋に乗り込んだサムライのように異文化のままでいいのだ。
しかし、その場へのリスペクトが無ければ駄目だと思う、その場を構成する文化を学び、感じた“気”とコラボレーションする「見立て」。
違和感なく馴染ませる中で作品の日本的美意識が場を支配してしまうようなアドバンテージを奪う。
大袈裟に言えば美意識を輸出産業にする事で文化の侵略者になるのだ。
美意識とはお約束のような記号化した日本の伝統様式(形式)ではなく血の奥に脈々と継承される精神性のようなものだ。
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